こういうのをアナウンスするのが得意でなく、昨日も「いつ送別会を」「すみません、明日帰ります」というやり取りがありました。
翻訳の仕事で息子と二人(何とか)生活できるレベルになった昨年暮れあたりから、環境を変えようと考え始めました。
しかし学期が始まると、複数の仕事が折り重なり、考える時間もなくなりました。実は今も、飛行機に乗る前に片づけたい仕事があって、ぼちぼち進めています。荷造りは完全には終わっていません。重たい物だけは昨日、郵便局から船便で終わりました。
次何するのと聞かれるとつらいのですが、とりあえず手持ちの仕事で生きていけるので、考えるための時間を確保するために、優先順位が落ちつつあった日本語教師の仕事を一旦手放すことにしました。
一時帰国も多いですが、幸せで充実した6年間でした。
何より良かったのは、子供を現地の環境で育てる中で、多くの人から助けてもらい、私も息子も「中国に育ててもらった」という感覚を持てた点でしょうか。
息子が帰国してからの2年は、飲みに行けるようになったため日本人の友達が一気に増えて、それはそれでありがたいのですが、それに比例して現地社会との接点は少なくなりました。
子供は社会の窓だとつくづく思います。
日本は優秀で革新的な人ほど、既存型組織に張り付きその中で昇進していく傾向がありますが、日本のためにも、世界のためにも、そして自分自身のためにも、知らない世界に出たらいいのにな、と思います。昔と違って、世界のどこにいても連絡が取れるし、銀行振り込みができるし、音楽が聴け、本も読めるのだから。海外生活のハードルは確実に下がっています。
子供が一定の年齢になると、単身赴任を選ぶ家庭が多いですが(大連は単身赴任の日本人ばかりです)、子供本人のためにも、家族のためにも、家族みんなで海外暮らしも悪くないよ、ということを、私たち親子が証明できればなと思います。
この1、2か月は忙しいという言葉じゃ形容できないくらい身辺に変化がありまして、何かを書く意欲も激しく低下していたので、しばらくは中国レポートを続けていきたいと思います。
その後は分かりません。

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この記事へのコメント
ばばろあ
さなぢ
ありがとうございます。ちょっと場所を変えてかけそうなので、引き続きよろしくお願いいたします。