完・私の事を嫌いになっても勉強を嫌いにならないでください

 実はこのブログは福岡教育大附属中学の合格発表後にアップするつもりで、朝早く書き上げていました。私はまったく期待していなかったので、午前の翻訳を終わってから、午後は美容院の予約を入れています。夜は食事の約束があるため、息子と会うのはその後。
 朝、学校に行く前に息子が「合格したら入学の手続きだけしとって。俺には連絡せんでいいけん」と言ったときも、「分かった~」と生返事でした。
 …合格してました。ダッシュで仕事して着替えないと。
 1か月近くのこのブログで、途中から学校名を出し始めたのは、学校名を検索してここに来ている人が多いと気付いたからです(検索ワード見たらちょっと笑えます)。プライバシーの切り売りになりますが、主観に満ちた内容を投稿する以上、その背景にある私の輪郭もはっきりさせる必要があると思いました。さて、以下は朝書いた内容です。

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 今週に入って、私の小さなワンルームに息子がランドセルや着替え、大量の本を持ってやってきた。ちゃぶ台でご飯を食べ、セミダブルベッドで一緒に寝ている。この部屋にはテレビがなく、ネットもつながらないので、息子は図書館で借りてきた小説と、友人からもらったあしたのジョーを読んでいる。
 今日は塾のお楽しみ会で、昨日張り切って大量のお菓子を買ってきた。

 息子は「何で私立中に行かないの」と聞かれたときに、「金がかかる」と答えているらしい。かっこいい答えではないけど、間違いではない。
 私は大学を卒業してから、お金だけは全て自分の稼いだ分でまかなってきた。出産費用も、育児休業中の生活費も、マンション購入費も。子どもを産んで最初にやったことは、ファイナンシャルプランナーの資格の勉強だ。
 この10年、まとまった金を出したものには何らかのリターンを得るために努力してきた。身の丈に合わないものは手放して来た。その繰り返しの中で費用の掛からない方法も見つけ出し、2009年から今までに得た奨学金は500万円前後になる。
 エコな生活をしているから、息子が私立に通う金は出せなくもない。しかし私は、お金を出したら努力を求めてしまう。息子の成績が期待に届かなかったり、試験の前日にホークス戦を見に行こうとしたら、「せっかく〇〇学校に行かせているのに」と言ってしまいそうだ。言わなくても心で悶々としそうだ。
 だから自分の心の安定のために、今回はお金のかからない選択肢をする。少し前にも書いたように、中高一貫ゆえに、「間違った」と思ってもすぐにやめられそうにないことも気になる。
 ローン組んで買った家を5年も経たずに賃貸に出して、母子家庭なのに毎月サラリーをもらえる正社員の職を投げ出して、18歳から今までに12回も引っ越しをしている私にとって、6年縛りは結構キツイ。

 私が息子に願うのは、勉強を楽しんでほしい。その一点だ。中学受験をさせる親の中には「高校受験を気にせず伸び伸びと過ごしてほしい」という人は多いが、「大学受験を気にせず」という人はいない。私も、とりあえずは保険としてできれば名の知れた大学に行ってほしい。かっこ悪いけど、やっぱり本音ですよ。欲を言えば自分の卒業したとこより名の知れたところに。かっこ悪いけどそれが本音ですよ。でしょ、みなさん。
 1~2年集中して勉強することはそう難しくない。特に小学生時代は、いろんなことをごまかして子供を机に向かわせられる。しかし、大学進学までコンスタントに勉強を続けることは、本当に本当に難しいですよ。そして今の大学入試制度改革の流れをみていると、かつての私のように高校3年生からの猛烈な追い込み、では対応ができなくなる気がする。
 大学入試対策だけでなく、人は一生勉強を続けていくべきだし、勉強は本来面白いものだ。苦しい中に必ず楽しいことがある。
 だけど多くの子供たち(そこには私も含まれている)は、勉強の面白さを知る前に、それを義務だと感じるから苦痛を抱き、動力を失う。

 私が最も恐れていることは、子供が親や先生に反抗するときに、その手段として「勉強を放棄」することだ。
 親を失望させ、痛めつけるには「成績が落ちる」ことが効果的な方法だと彼らは分かっている。私がそうだった。中3から高校2年生まで徹底的に勉強を放棄し、特に数学は先生が嫌いだったので、挑戦するように期末テストで4点とか8点とか取って、そのうち戻ろうにも戻れなくなった。
 そんな幼稚な反撃は、結局自分のさまざまな選択を制約し、左右した。今もしている。

 息子が私を本格的にうざがりだし、私の管理から逃れようとしたときに、勉強が私の元にあると思ったら、きっとそれも切り離しにかかるだろう。だから私は、私と勉強をリンクさせないようにしておこうと思う。それは親にでなく自身に所属するものだと知ったら、やらなければならないし、楽しいものだときっと分かるはずなんですよ。

 学生時代。
 塾の夏期講習のバイト中、講師仲間のS君が、冷えピタを頭に貼って顔を真っ赤にして算数の問題を解いていた。担当している生徒の宿題だった。私はそういうとき、何ら悩むことなく解答と解説を見るのに、S君はいつも自分で解こうとし、時には昼ごはんを食べながら、うなりながら紙に何かを書きつけていた。
 勉強とはこう取り組むべきなのだと、目からうろこが落ちた瞬間だった。

 この世には入試問題から社会問題まで、誰かが解くのを待っている問題が限りなくある。
 すぐに解答を確認する、教えられた解法を覚える、誰かが解法を教えてくれないか期待する。の段階からもう一歩先に行ってほしい。それができるなら、「いい」高校、「いい」大学にいけなくても生きる術も限りなくある。
 目の前の問題と競争を楽しみたい。けれど、本質を忘れたわけのわからない難問は勇気をもって捨てることも非としない。

 息子に望む前に、まず私がやろうと思う生き方でもある。
終わり





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