完・書かずにはいられない~才能について

教師という仕事を3年ちょっとし、人の子供を41年し、人の親を12年やって、多くの人と話してつくづく思うのは、たとえそれが無意識であっても、子供たちにレールの上を歩かせようとし、そこから脱線する子供にストレスを感じるのが「大人」なのだ。

けれど、列車が脱線したら転覆するのに対し、人間は脱線しても走り続けることができるし、レールなんて実際は幻想だ。

「そんなことをしても役に立たない」「そんなことをする時間があったら●●しなさい」というのは、誰もが言われた、言ったことがあるはずだけど、少なくとも私はそう言われてピアノをやめたことを悔やんでいる。家計の資源は限られているため、子供がやりたいことを無尽蔵にやらせるわけにはいかないが、好きでやっていることを「役に立たない」「勉強の方が大事」という理由で止めるのは本当に愚かな行為だと思う。

私たちの仕事は、仕事そのものが6割、残りの4割はコミュニケーションで成り立っている。好きなことで食えなくても、間接的には私たちのキャリアを支えてくれることは多い。

話を戻すとこの1年、私の大学は省・全国レベルの作文・スピーチコンクールで、過去4年分くらいの数の賞を獲った。けれど指導担当の私に言わせれば、指導したのではなく、普段のやり取りで書けそうな人に声をかけて出してもらっただけだ。私自身は、明らかな文法の間違いや段落の調整くらいしかしていない。
私は書くのが好きで、読むのも好きなので、「好きで書いている」「書きたいことがあって、きっかけがあれば書く人」は何となく分かる。けれど、ほかの分野はよく分からない。そして私は今、3年生のクラスしか担当していないので、2年生で顔と名前が一致する子は10人くらいしかいない。残りの100人の中に素晴らしい子がいたとしても、残念ながら見つけることはできない。

大人っていうのは、きっとみんな何らかの好きな分野、得意分野を持っていて、「育てる」というと腰が引けるけど、自分と同じことを楽しそうにやっている子供たちに、それをやめないように励ますことは誰だってできると思う。
むしろ「育てよう」と気負うと、自分の計画や期待と違う方向に行ったときに、激しいストレスの原因になる。

才能は勝手に伸びていく。その子の中にエネルギーがある限り。どこまで伸びるか、それも才能に左右されるが、職業にできなくても、大人になったとき「好き」なものがあることは私たちを救ってくれる。
終わり





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