⑥書かずにはいられない~才能について

 大学の授業で、学生たちに「これまでで自分は才能があると思ったことを挙げてみて」と質問した。「どんな小さなことでもいい」と付け加えると、色々出てきた。
・幅跳びが得意
・初めてのスケートですぐ滑れるようになった
・麻雀ならクラスで一番になれる自信がある
・コーヒーを淹れるのが上手
・絵を描く
・ポスターなどのデザイン
・嗅覚が鋭い

 嗅覚が鋭いと言った女子に、目隠しをしてクラスメートのマフラーのにおいを嗅がせるるという実験をしたら、百発百中で誰のものか当てたから教室は拍手喝采だった。
 男の子が絵を描くのが得意と話した時、周囲からは驚きの声が挙がった(誰も知らなかった)。

 次の質問として、「じゃあ、今言ったことを生かして仕事をしようと思っている人はいる?」と聞いたら、手を挙げたのは「コーヒーを淹れるのが上手」と答えた1人だけだった。

 「ポスターのデザイン」と答えた学生は「大学の専門が違うから無理」と言い、「嗅覚が鋭い」女子は「それが役立つ仕事ってあるの?」と笑った。

 けれど記者として、あるいは41歳のおばちゃんとして、色々な職業に触れてきた私は知っている。嗅覚の鋭さが生きる職業があることも、知覚が過敏だとやれない仕事があることも。

 そして、彼女たちは自分たちの絵やスポーツ、あるいはほかの能力を「仕事するまでは通用しない」と言うけれど(きっとそれは親や先生など、周囲の人に言われた意見も含まれているのだろう)、その道で食っているプロが見たなら、「今はこれくらいだけど、伸びるんじゃないか」とか、「ほかのスキルと組み合わせれば生計が立てられるレベルにはなる」という判断ができるかもしれない。

 私は職業を聞かれたら、「ライター」という肩書を加えるが、ベストセラーを出しているわけでもないし、主生計に据えられるかどうかはいまだ未知数だ。しかし時々仕事が舞い込み、「あ、今月はこの収入があった! ラッキー」と思えるくらいの生活の足しになる。
 翻訳者として稼働しているから、翻訳者になるためには単なる語学力だけではだめだ、違うアプローチも必要だ、ということも分かる。
 教師生活も4年目に入り、公的機関の教師という仕事の安定性と、その安定性がもたらす悪い面も認識した。

 だから、これらの仕事を目指している人や、向いていそうな若い人たちには、その人たちの親や友人よりはより役に立つアドバイスや支援ができると思う。
 しかし、「コーヒーのプロになりたい」「絵を描いて稼ぎたい」「走り幅跳びで実業団に入りたい」という若者を前にしたら、私の眼力も経験もほぼ役に立たない。

 その授業で、私が言ったことは
「もし自分が何か得意だと思ったら、そういう人が集まる場に行った方がいい。そこには必ず、その才能の目利きがいる。その目利きは現時点の能力だけでなく、どのくらい伸びるか、あるいはどうやったら伸びるかについてもより正確に見通してくれる可能性が高いから」
「自分が何か得意だと思ったら、できるだけ不特定多数の前でそれを実演した方がいい。偶然の出会いの力をバカにしたらいかんよ」
「自分の得意なことが、生計を立てられるほどの水準に達しないとしても、それは自分の人生を助けてくれるものになるかもしれない。特に音楽やスポーツは、新しいコミュニティに溶け込む大きな手段になるから、好きな限りは続けてほしい」
ということだった。





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